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最高裁判所第一小法廷 昭和54年(オ)83号 判決 1979年5月31日

上告人

庄田智恵子

右訴訟代理人

縄稚登

被上告人

横尾律子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人縄稚登の上告理由について

自筆証書によつて遺言をするには、遺言者は、全文・日附・氏名を自書して押印しなければならないのであるが(民法九六八条一項)、右日附は、暦上の特定の日を表示するものといえるように記載されるべきものであるから、証書の日附として単に「昭和四拾壱年七月吉日」と記載されているにとどまる場合は、暦上の特定の日を表示するものとはいえず、そのような自筆証書遺言は、証書上日附の記載を欠くものとして無効であると解するのが相当である。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(戸田弘 団藤重光 藤崎萬里 本山亨 中村治朗)

上告代理人縄稚登の上告理由

第一、原判決は法律の解釈を誤つている。

一、民法は遺言の方式に関する基本理念として、九六〇条に「遺言は、この法律に定める方式に従わなければ、これをすることができない」と規定し、本件の対象である自筆証書による遺言については、九六八条一項は、「遺言者が、その全文、日附及び氏名を自書し、これに印をおさなければならない」と規定している。

ところで、本件は、要件の一つである日附の自書が「昭和四一年七月吉日」となつている場合であるが、これは遺言の要式性に反しないといわなければならない。

二、遺言の方式についての要式性の要求は、遺言の内容が、相続財産の処分(民法九〇二条、九〇八条)推定相続人の廃除(民法八九三条、八九四条二項)など、一般に重要な問題が多いため、遺言の存在を確保すると共に、後日に争いを残さないように遺言の内容を明確にしておくためであり、遺言者の真意確保のためである。

三、又、遺言における「日附」の自書は、遺言の成立時期を明確にさせるためのものである。このことは、遺言者の遺言能力の有無を判断する標準の時期(民法九六三条)遺言の方式選択の範囲の決定、特に特別方式の遺言が許される状態にあつたかどうかを判断する時期(同九六七条)を明確にしたり、同一遺言者による内容の相牴触する二通以上の遺言書が存する場合にその前後を決定するため(同一〇二三条一項参照)に必要とされるからである。

四、ところで、自筆証書遺言の効力の有無の判断、即ち如何なる程度の瑕疵がその遺言を無効にするかの判断は、制度の趣旨に照らしてより実質的になされなければならない。遺言の方式が厳格に過ぎて遺言すること自体が困難になつたり、作成された遺言が軽微な瑕疵によつて無効になつたりすることを防ぐためにも、特に我国のように一般的に遺言の方式が知れわたつているとはいえない現状にあり、不十分な方式や、些細な瑕疵ある遺言が多い実情の下においては、遺言制度の存する要式性の根本趣旨に反しない限り、できるだけ緩和して解釈し、遺言者の真意を尊重することが必要である。

五、而も、民法九六八条の法文には、民法四六条四号、三八三条一号などのように「年月日」とないことや、遺言作成の年月日を明白にするためという方式としての「日附」を考慮すれば、年月日の記載がない場合でも、遺言作成の年月日を明確にする記載とか、又、遺言者の真意に出た場合には、なるべく遺言の無効を来たさないことを期する立場から、或いは又、錯誤によつて、日附を「吉日」と記載した場合にも有効と解されるべきである。

六、従つて、日附が遺言者の「何回誕生日」とか「還暦の日」とある場合とか、遺言内容や他の資料によつて判定可能であるならば、「昭和四拾壱年七月吉日」とある場合も、遺言者の遺言能力は「年月」即ち「昭和四拾壱年七月」だけで判断されうるし、同一人の遺言書が他にないことが明白な場合には「年月」のみで十分な場合もあるから、社会通念上「日」の記載のない遺言書を無効とする理由はない。

七、本件においても、遺言者吉勝の死亡の時期、状況や、昭和四一年七月頃の状況からみて、遺言能力には問題はなく、右吉勝の遺言書が他に存在せず、而も、直接、遺言の内容と日附とは関連性もなく、又遺言内容に何らかの不明瞭な部分も存在しないから「年月」のみの記載があり「日」が全くない遺言の場合と同様に、本件遺言を有効と解しても、右吉勝の真意とは全く矛盾しないから、遺言者吉勝の意思を尊重するこそあれ、遺言制度の有する要式性の根本趣旨に反しないし、遺言相続制度の趣旨に則り、右要式性を緩和して解釈しなければならない。

八、更に、最高裁昭和四八年(オ)第一〇七四号、昭和四九年一二月二四日第三小法廷判決においては、遺言書に押印がなく、民法所定の方式を備えておらず、法律上無効な遺言を有効としたことは、要式性を緩和したものとして制度の趣旨からみて妥当なものということができるし、このことは、本件についても充分考慮されるべきである。判例が、できるだけ方式を緩和し、自由に遺言者の真意を探究しなければならないとしていることは(大決昭和五・四・一四評論一九巻民法六七二頁、大判昭和八・一〇・三〇新報三四六号一四頁)支持されるべきである。

九、昭和二年の臨時法制審議会相続法改正要綱一六は「日附ノ自署及ビ捺印……ノ要件ハ之ヲ欠クモ裁判所ノ認定……ニ依リテ其効力ヲ認メ得ルモノトスルコト」としていたが、解釈上もその趣旨は尊重されるべきである。

一〇、以上の如く、判例上も、立法論としても、遺言の方式の緩和が明確になされている現今、本件については、他に遺言書は存せず、又、遺言能力も存し、作成時の前後の確定についても明確にされる必要性、争いも存せず、遺言者の真意を尊重するという遺言制度の趣旨から、「昭和四拾壱年七月吉日」なる日附は、「年月」のみの記載があつて「日」の記載のない遺言として有効とするか、或いは上告人の養子として訴外庄田賢の誕生日である同年七月九日を、吉凶の故事により作成日を「吉日」と記載したもので、右上告人の記憶は特徴的に記憶しているところから極めて正確であるし、信用できるから、特定されたものということができるのでその特定された記載を以て「日」の記載ありと解すべきである。

然るに原判決は、立法論としてはともかくとし、法規上の存在を理由として、本件についても要式性には限界があるとしてこれを固守して、厳格に解釈していることは決して支持されるべき解釈ではなく妥当ではないから破棄されるべき相当な事案である。

以上

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